「ライフライン」(茨木市福祉文化会館)会場風景
(A)「戦後80年事業 いま、戦争を語るということ―水戸市立博物館所蔵品と河口龍夫《関係―植物・HIROSHIMAのタンポポ》を通して―」(水戸市立博物館)
(C)「再考《少女と白鳥》-贋作を持つ美術館で贋作について考える」(高知県立美術館)
戦後(敗戦)80年を冠した展覧会は各地で開催された。東京国立近代美術館の「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」は、戦時下を生きた画家たちの態度と精神性を真摯にひもとき、当時の社会構造と文化的価値観に潜む葛藤を照らし出す、実直な企画であった。こうした流れのなかで、とくに注目したのが(A)である。本展は、戦争の記憶を直接的な資料だけではなく、モノの沈黙を通して語ろうとする点に特徴があった。たとえば、展示物の中に白い石粒があった。これはミンダナオ島で戦死した人物の遺骨代わりにと持ち帰られたものだ。亡き人を偲ぶ心が無名の石に意味を与えるという、人間の営みの本質を語っていた。その中心に据えられたのが、河口龍夫の《関係―植物・HIROSHIMAのタンポポ》である。この作品は、被爆地という事象が否応なく浮かび上がる広島を起点に、戦争を考えるための指標が提示されていた。そこにあるのは、広島という固有の記憶を超えて、戦争そのものへの普遍的な問いである。さらに心を揺さぶったのは、企画者・平野明彦氏の解説文であった。亡き人々が語りたかったであろう失われた声を言語化しようとする誠実な試みに、深い感銘を覚えた。
私は地方の小さな美術館に勤めているため、地域で奮闘する施設の取り組みから多くの励みをもらっている。その一例が(B)だ。危機的な状況に直面した際、人はライフラインの重要性を強く実感するが、平時にはその価値を忘却しがちだろう。本展は、ライフラインという社会的機能を想起させると同時に、文化活動が人間の根源的な営みであることを再認識させるものだった。また、2026年に取り壊しが決まった会館で、9名の作家が特徴的な空間と対話し、時に挑戦的な姿勢で作品を設置する態度に強い関心を抱いた。さらに、国立国際美術館の福元崇志による開かれたキュレーション、茨木市文化振興財団の田中勇輝による誠実な立案にも心を打たれた。茨木市は1960年代後半から現代美術の発展に寄与する活動を続けている。半世紀以上にわたり、地域から現代美術の可能性を拓いてきた歩みに、深い敬意を抱かずにはいられない。展覧会は、作家と作品、鑑賞者、そしてその背後にいる企画者・運営者との協働によって成立する。その関係性をも考えさせられる、意義深い企画だった。

最後に(C)を挙げたい。贋作を所蔵してしまった事実を誠実に公開し、美術史的・倫理的問題を正面から扱った稀有な試みである。同館では、監修に田口かおり(京都大学)を迎え、塚本麻莉を主担当に全職員と外部専門家が協働して本展を実現した。事実が発覚してから準備期間が限られる中、小企画という枠組みにあっても、美術館関係者は真摯に向き合いながら、美術館の信頼性やオーセンティシティを問い直し、透明性を重視する姿勢を貫いた。本展は、美術館が制度として果たすべき批評的役割を明確にし、その存在意義を再考させる重要な一歩となっただろう。
これらの展覧会は、記憶を語り継ぐだけでなく、美術館という制度の信頼性と倫理、そして展覧会を成立させる関係性を問い直していた。過去と未来をつなぐ批評的な営みは、美術館の根幹であり続けるはずだ。その問いを、これからも考え続けていきたい。

*年末特集「2025年回顧+2026年展望」は随時更新。
「2025年ベスト展覧会」
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大槻晃実
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