(A)「横浜美術館リニューアルオープン記念展『おかえり、ヨコハマ』」(横浜美術館)
(B)「『ヒロシマ・広島・hírou-ʃímə』 全日本学生写真連盟の写真表現と運動」(MEM)
(C)「女子美術大学創立125周年記念展 この世界に生きること」(スパイラル)
(A)3年に及ぶ大規模な改修工事を経て、リニューアルオープンした横浜美術館の最初の展示。コレクションを中心に過去から現在までの(そして未来の)横浜の多様性を描く。とくに「第2章」、「第3章」、「第4章」と続く、ペリー来航や関東大震災を含む戦前の物語が個人的に興味深かった。歴史叙述のなかで国家を単位とするインターナショナルな、あるいはトランスナショナルな事象が語られるとき、しばしば諸国家間の接触——や、それに伴う事件——に注目が集まる。すると、国家内部で発生するインター(トランス)ナショナルな出来事が見落とされてしまうことがある。本展では、いわば「内なる国際化」にスポットライトが当たっていると感じた。横浜に限ったことではないが、関東大震災時の朝鮮人虐殺など、そうした内的国際化が人種差別的・暴力的な帰結を招いたこともある。だから、つねに想起する必要がある。芸術は、作品を通して、そうした記憶の器となりうる。

また、展示とは直接的に関係ないが重要なことを。リニューアルに際し、館内の什器が一新された(乾久美子と菊地敦己のデザイン)。暖色を中心にしたテーブルや椅子は、その使用方法にも高い自由度が許されており、ふと休みたいときにリラックスするには適していた。気持ちを切り替えて鑑賞に戻ることができ、館内什器の大切さを知った。

(B)今年、ジャスティン・ジェスティ『戦後初期日本のアートとエンゲージメント』(水声社)を翻訳したこともあり、前衛的・政治的な芸術運動における「個と集団」の問題に大いに関心があった。1960年代半ばに成立した全日本学生写真連盟(全日)は、その被写体に学生運動、公害、戦争と植民地主義の遺制といった社会的イシューを据えた学生たちの集団撮影行動。だが、実質上の指導者は写真評論家の福島辰夫(1928~2017)で、彼固有の「美的」感性——それは余人をもって代えがたい、すぐれて特異なものであったが——により「えり抜かれた」写真だけが残った。
本展は、とりわけ全日の「8・6広島デー」に焦点を当てている。タイトルに含まれるのは発音記号の「hírou-ʃímə」。これは復興しつつあった実際の「広島」と平和の象徴として普遍化された「ヒロシマ」のあわいに、全日の学生たちが写真を通じて探し求めたものだった。各作品に見られる、集団化の力学に抗して、なお表出する個——「個ならざる個」——が興味深かった。おそらく、このことに福島は気づいていた。事実、彼はたんなる閉じた自己意識が生む「“鏡としての写真”の克服」(「世界認識の方法」)を繰り返し訴えた。古くて、しかし新しい難問に新鮮な視覚から切り込む展示であった。

(C)「大学とは何か」、「大学とは何のためにあるのか」——留学先のロンドンからポスドクを行った香港を経て、日本に戻った。程なくして大学で働き始めてから、ずっと考えている問いだ。自分が大学(院)生だった頃、そんなことは頭を掠めもしなかった。大学(院)に行き、そこで学ぶことが「当たり前」だったから。けど、そんなことを考えなくても大学が「安くない授業料を払って、人生の短くはない時期を過ごすに値する場所」であったのは、きっと学生のことを真剣に考える教員に恵まれていたからだといまは思う。そうした恩恵に与ってきた以上、今度は自分の番だと感じている。
昨年から女子大に勤務するようになり、こう考えることが多くなった——「女子大とは何か」、「女子大とは何のためにあるのか」。もちろん女子大も大学のひとつだが、おそらく特有の意義をもっているはずだ。で、そんな折に鑑賞したのが本展。紙幅の都合上、具体的な内容に言及することができない。が、広くジェンダーやフェミニズムにまつわるイシューを「女性」だけの問題として扱うのではなく、男性にも女性にも男女二元論にしっくりこない人にも——要は誰にでも——重要なものとして提示する作品は女子(美)大の意義を示していると感じた。
*年末特集「2025年回顧+2026年展望」は随時更新。
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山本浩貴
山本浩貴